感謝はする。が喜びは感じない。

唐突だが最近思うことをここに綴っておく。

日本人は感謝の気持ちをよく知っている気がする。それはきっと日本人が持つ謙虚さだったり奥ゆかしさから来るものだと思う。素晴らしいことだ。

けれど一方で「喜び」についてはどうだろう。胸がわくわくし、思わず声を上げたくなったりするような感覚を感じたことはあるだろうか。あるいは他人の喜びを心から祝福し分かち合った経験はあるだろうか。

ここ最近を振り返り答えがyesなら、これまでの自分の環境だったり偉大な指導者との出会いにそれこそ感謝すべきだ。

 

感謝は自分から外側に向けて感じるプラスの感覚。喜びは自分の内側に感じるプラスの感覚。ベクトルは全く異なるのに感謝と自分の喜びが同義になってしまっている人が多い。(恐らくそうでない人には全く分からない感覚だと思うのでページを閉じてくれたらいい。)

 

「喜び」はいい換えれば、生きている!という実感、胸の辺りからくる温かい幸福感、全身からエネルギーが溢れるような感覚(生命力)、などといったものだ。

喜びは本来誰でも感じることが出来る最高の感情だ。生まれたばかりの赤ちゃんやはしゃいでいる子供を見ればそれが分かる。

 

しかしなぜそれを忘れていくのか。日本の社会や風習、教育を考えればある程度誰にでも想像がつく。

人はこれらにある意味適応しながら徐々に不安や恐れからくる思考に支配され始め自分の周りにしがらみのような殻を作っていく。

そしていつしか殻の中の自分が当たり前になり、殻の中にいる自分の考えがあたかもそれが正しい倫理、モラルであるかのように振る舞い始める。さらには最終段階として規則、ルール、空気感で他人に強要し始める。ここまでいってしまったら末期症状だ。自覚症状を完全に失ってるといっていい。

つまりこの殻が本来自分の内側にあるものを押し留め、感覚を失わせていくのだ。

 

このクソみたいな殻を破るにはどうしたらいいか。意外にシンプルだ。楽ではないが…

 

好きな事を集中してやる。

 

本来あるものを取り戻すことに複雑なテクニックなどは必要ない。

まず好きな事をする時間を工夫して捻出し、好きな事をしている時は不安や恐れを一切考えず目の前のことに集中する。

集中しているかどうかのバロメーターは、喜びを感じているかどうかで分かる。

もしそれでも喜びを感じない場合は残念ながらそれはあなたが思っているほど実は好きな事ではないということだ。

 

もう一つやるべきことがある。

 

嫌いなことに対してなぜ嫌いなのか考え、目を逸らさず見つめる。(問題は抵抗すればより力を増し、見つめれば消え始める。)

 

嫌なことを考えると思考が停止し始めるので思いつく事を全て紙に書くことをお勧めする。(途中で止めてあとで再開できるし、思いを一旦自分の外側に出せるので。)

最初はペンが折れるのではないかという筆圧で殴り書きをすることになるだろう。

けれど徐々に頭が整理されてくる。人間の脳は自分が思っているよりもはるかに高度にできている。

整理されてきた頃最初に感じることはこれまで散々嫌だと思い続けてきたことが実はそれほどでもないかも?という感覚だ。

それを感じたら考えることを辞める。後は脳の潜在的な能力にまかせていい。しばらく間をおいて先ほどのメモを見直してもらいたい。自分の変化に気が付くだろう。

 

 

しかしそれでも殻を破るのは容易ではない。自分が変わり始めていても、社会や風習、周りの環境といった外的要因は以前と変わらないからだ。

しかしこの二つを定期的に行うと副産物を得られる。

 

ありのままの自分を受け入れられるようになる。

 

先ほどの二つの作業により、今の自分が色々な経験を通じて一つの無駄もなく形作られてきたものだと気付くからだ。

つまり、殻は結果的に悪循環を生み出しているだけで、一方で自分自身を周りから守る盾となってくれているに他ならない。

自分のことが理解できていないと外的要因に自分を合わせていくことしかできない。自分がないのと同じだから。

ただしそうすると好きでもないことをする羽目になり苦しくなる。未来の自分のビジョンが見えなくなり不安が生まれる。自分の喜びが分からなくなる。そしてより頑丈で大きな殻が必要になってくる。

 

 

殻から出るにはまず自分を知り、外的なものとの向き合い方を見出さなければならない。

外的要因に支配されるのを辞め、自分自身という舵を取ってこの大波をわたり喜びに満ちた世界を見つけて欲しい。

コメントを残す

サブコンテンツ

このページの先頭へ